先生になったのでR


パリから電車で一時間ほど北に行ったノルマンディの南部にあるVERNONて街の音楽学校、 「Conservatoire à Rayonnement Intercommunal de la  CAPE」(まぁ地方の公立音楽院って感じか…)ってところのコントラバスの先生に10月半ばからからなったッス。
その関係でEVREUXという街の学校でも来年の前半まで月一回のペースで教える事にもなりました。

生徒はもちろん地元の人々なんだけど、ちびっ子(子供用の小さいコントラバスってのがあるんだよ)から大人まで幅が広い。
言葉の問題もあるし、フランスでの経験なんてほぼ無いに等しかったので、 第一回目の授業をするまで結構緊張したし、自分に務まるのかいささか不安だったっス。
でも、いざやってみたら結構大丈夫じゃん、ってわかったし、結局は、いかに生徒たちにインスピレーションを与えられるか?が大事なのかもな…って今は思ってる。

そういうインスピレーションを得た瞬間の生徒達の顔を見るのって凄い嬉しい。
音楽がどうとか、コントラバスがどうとかっていうよりも、コントラバスや即興を教えることによって彼らの生きていく力の源泉を豊かにする手助けをできれば嬉しいなぁ…って思ってる。
それが僕の教える立場としての根本姿勢なんだよな…って久しぶりに教える立場になって確認したっス。

で、ふと思ったんだけど、
なぜ教師は子供に「いわゆる音楽」をやらせるところから始めようとするんだろうか?
メチャクチャな弾き方でも、単なる雑音にしか聞こえないようなことをやってても、まず子供たちがそれらを味わい尽くしてその次に音楽や技術の向上を望むまで待ったり、仕向けたりするのがまず第一歩目の仕事なんじゃないのかなぁ…ってふと思った。

実際、弓の持ち方も楽器の構え方すら知らないようなコントラバスを初めて触る5,6歳位の子達と一緒に弓でノイズ大会よろしく即興(単に弓で弦を擦ってガシガシやってるだけ、とも言える)すると結構盛り上がるんだ。
音楽以前にまず、「音」とか、弾く「行為」に興味があるんだよね、多分。
それってとても大事な事じゃんとも思うんだ。

それと、なぜ何も考えずにとりあえずメソッドとかあてがっちゃうんだろ?
それぞれの生徒がどういう問題があってちゃんと弾けないのか?って考えなければいくらメソッドやってもあんまり意味ないんじゃないかなぁ…ってふと思った。
逆にそれがわかってばメソッドなんていらない…っていうか僕は自分で自分のためにそういう課題散々作ってきたんだよね、そういえば。

自分でも記憶があるけど、下手くそでも楽しくて楽器をいじくりまわしてるウチにふと気づいたりすることがあってさ、それで上達していったんだと思うんだよ。
だから、楽しいからいじくりまわすって感覚が、まず大事な気がするんだな。

その為に何ができるんだろ?